西洋と東洋の知能論が融合/SIG-AI「井筒俊彦と内面の人工知能」レポート記事掲載(動画公開)

ゲームからゲームを作ってはいけない。広く現実の社会を観察して作らなければいけない……。日本のゲーム開発で良く指摘されるテーゼです。ゲームAIも同様で、既存のゲームを真似て作っても、それ以上の発展はのぞめません。では、優れたゲームAIを作るには何を観察すれば良いのでしょうか。答えは人間である……といっても、何かしらの接線や議論のための足場が必要なのは明らかでしょう。

その足場を哲学に求めながら、さまざな角度で議論を行い、実装のヒントを探るセミナーがSIG-AI「人工知能のための哲学塾」です。「西洋編」に続いて開催された第二シーズン「東洋編」もすでに今回で3回目。いつものように前半では「井筒俊彦と内面の人工知能」をテーマに正世話人の三宅陽一郎氏から講演が行われ、後半では参加者自らがさまざまなテーマで議論を繰り広げました。

なお、本セミナーは電子書籍「<人工知能>と<人工知性>環境、身体、知能の関係から解き明かすAI」(三宅陽一郎著・詩想舎)で代表をつとめる神宮司信也氏のブログでも備忘録が公開されています。あわせてご確認ください。

SIG-AI正世話人・三宅陽一郎氏

西洋哲学は登山で東洋哲学はスキー

過去のセミナーレポートと重複しますが、もともと人工知能は西洋哲学をベースに研究され、発展してきました。実際、東洋哲学をベースとした人工知能は存在しません。にもかかわらず、あらためて東洋哲学について議論が行われているのは、そこに西洋哲学の補完材料が存在するからです。東洋哲学の知見を借りて、ゲームAIをさらに魅力的な存在に進化させたい……これが東洋編のテーマとなります。

「ざっくり言ってしまうと、西洋の知能論は機能論です。そのため、驚くほど存在について議論しません。東洋の知能論は反対で存在論が中心。機能についてはほとんど議論されないのです。エージェントアーキテクチャや、そのベースの一つになった環世界の考え方は、両者の接点になり得るのではないかと考えています」(三宅氏)。

それでは、西洋の知能論をベースに開発されてきた、既存の人工知能の限界とは何でしょうか。三宅氏はエージェントアーキテクチャやサブサンプション・アーキテクチャ(『FF15』で実装されているキャラクターAIも、これらがベースになっています)の構造を精緻化させていくだけでは、最終的に「虚無」に至るだけであり、その先が存在しないからだとします。

この背景には西洋哲学が「人間とは何か」といった究極の問いを立て、そこに向かって一つずつ実証可能な思考や言説を積み上げ、発展してきた経緯があります。それは世界一高い山の頂上に向かって、麓から一歩ずつ足場を固め、制覇しようとする行為に似ています。頂上に立ってしまえば、それ以上は何もないことは明らかでしょう。そして、そのルートが以前より、ずっと見えにくくなっているのです。

これに対して東洋哲学では既存の世界の枠組みを超えた、何かが最初から存在するとします。「道」「空」「絶対的一者」など言い方はさまざまですが、言葉にできない「むき出しの世界」が存在し、そこからさまざまな哲学的概念が誕生するところに特徴があるのです。それはいわば、落下傘でいきなり頂上に降り立ち、そこから各方角に向かってスキーで滑降していくようなものだと言えます。