【ゲームシナリオはむずかしいですよ】
講義の後半はゲームシナリオに焦点を当てて行われました。
重馬氏の周辺で、ゲームシナリオ作成の上手なライターは少なく、20年以上のキャリアを持つ重馬氏でも、いまだにゲームシナリオ作成は難しいといいます。
その理由はゲームならではのインタラクティブ性です。
映画や漫画といったメディアは一方通行でドラマを描きますが、ゲームではプレイヤーの操作が介入するため、主人公がなにか行動を起こすといった内的動機は、ゲーム内で共有されるべきだと、重馬氏は指摘します。
言い替えれば「もっとも面白いことを」プレイヤーに「解放する」のがゲームシナリオの役割だということ。
そのため、どんなにシナリオの内容が素晴らしくても、プレイヤーの意志や行動が伴わないシナリオ展開はゲームシナリオとしては不適合で、ただのライターの押し付けにしかすぎなくなってしまうのです。
特にプレイヤーの行動によってシナリオが変化するマルチシナリオの場合、物語が多様に変化していく構造を作ることは、プレイヤーが「読みたい話を読ませていく」ことに繋がっていきます。
そのため「プレイヤーの意志決定によって、どこまで面白いものが読ませられるか」が、ゲームシナリオライターとしての、腕の見せどころだと語りました。
例えば、ただ単に「右へ行く」「左へ行く」といった選択肢では、プレイヤーの意思決定を促す上で判断基準が全くなく、つまらない選択肢の筆頭であるといいます。これは「女の子を助ける」「女の子を助けない」といった選択肢でも同様です。
しかし、この時に「自分もピンチである」という前提条件があれば、話は違います。助けようとすることで、自分の命が危険にさらされるかもしれないからです。そのため「自分の命を捨ててでも」といった具合に、ドラマを盛り上げることができます。
逆に「女の子を助けない」という選択肢にも、十分な合理性があります。助けようとすることで、自分の命が危険にさらされるかもしれないからです。また、「助けない」という選択結果を後の伏線につなげることもできます。
どちらにしても、プレイヤーにとって「自分が物語を動かしている」という実感が得られるというわけです。
プレイヤーの意志によって変化していくゲームシナリオ。
しかし、判断基準が多ければ多いほど、よいゲームシナリオといえるのでしょうか。
多すぎる判断基準は、「キャラクター動機」と「プレイヤー動機」を乖離させるおそれがあるといいます。
先ほどの「女の子が窮地に追い込まれている」という状況について、再度考えてみましょう。
ここで「彼女は敵対勢力に所属している」という背景情報があったとします。
つまり「彼女を窮地から救う」ことは、主人公にとって裏切り行為となる可能性があります。
プレイヤーがこの事実を事前に知っていれば、後の展開で主人公が仲間から裏切り者よばわりされても、納得して進められます。
その一方でプレイヤーが知らなかったとしたら、どうでしょう。
「知っていたら、わざわざ助けなかったのに」と、その後の展開を理不尽だと感じるかもしれません。
しかし「敵とは知らず女の子を助けたことで、主人公が窮地に立たされる」というのは、物語的にみておもしろい展開です。
そのため、あえて情報をセーブして、プレイヤーとキャラクターの動機の乖離を狙うことがあると言います。
このようにプレイヤーの意志介入と、物語としての面白さ、その両者のせめぎ合いがゲームシナリオ制作の難しいところであると、重馬氏は語りました。
これ以外にも講演では「実際に発売されているゲームタイトルのシナリオ例」「スマートフォンアプリでのシナリオ作成事情」「世界観と世界観設定の違いなど」について解説が行われました。
いずれも第一線で活躍中のプロだから話せる深い内容ばかり。
参加者からおしみない拍手が送られ、本講演は終了しました。
(小川 浩史)