ゲームAIの可能性を哲学的視点から問い直す、他に(おそらく世界的にみても)類をみない連続セミナー「人工知能のための哲学塾」。その第3回「デカルトと機械論」が株式会社Donutsのセミナールームで2月1日、開催されました。会場はいつものように、SIG-AI正世話人で「哲学塾」の旗振り役でもある三宅陽一郎氏の講演を第一部、グループディスカッションを第二部として、さまざまな議論で盛り上がりました。
ゲームと伝統的な遊具の違いとして、ゲームは「究極の一人遊びの道具」として発展してきました。そこで鍵となる要素がゲームAIであり、中でも中心となるのが攻撃したり、隠れたりといった、キャラクターの振る舞いです。つまりゲームキャラクターには物事を思索したり、人間と対話をしたりといった、真の意味での知性は(今のところ)必要ありません。多くの場合、おもしろさと直接関係ないからです。
その一方で研究者は人工知能という学問領域が誕生した時から、「考える存在」としての人工知能の研究を続けてきました。その思想的背景を担ったのが、世界のあらゆる事象を記号化して捉える、数理論理学的な哲学観です。その発端となったのが16世紀に活躍し、近代科学の祖とされるデカルトでした。今回のセミナーも、デカルトとその後継者達の学問的系譜を振り返るところから始まりました。
分析哲学が人工知能研究に与えた影響
重い物と軽い物は同時に落下し、地上のリンゴも天上の月も同じ物理法則で運動している。ガリレオからニュートンへと続く自然科学の発展の過程で、人々は世界が数学で記述できることを発見しました。では自然科学以外、たとえば人間の言語や思索はどうでしょうか。あらゆる学問が宗教的・迷信的・議論的だった時代、「混乱する学問を確かな基礎の上に体系化したい」と願った哲学者がいます。それがデカルトです。
この考えを推し進めたのが17世紀の哲学者ライプニッツでした。ライプニッツは「人間の心の動きはすべて計算である」として、数学の記号的な側面を論理学や哲学全般に演繹できるはずだと考えたのです。この思想は19世紀に活躍したフレーゲによって整理され、後継者の手で「分析哲学」として深められていきます。これらはすべて、世界の構造を解き明かしたいという哲学者の熱意の賜物だったといえるでしょう。
この分析哲学は戦後、人工知能研究に大きな影響を与えていきます。1956年にアメリカで開催され、世界で初めて「人工知能(Artificial Intelligence)」という呼称が用いられたダートマス会議では、「機械が言語を扱えるようにする方法の探求」「機械上での抽象化と概念の形成」といった、数理論理学的な基本方針が掲げられています。会場では分析哲学の記号モデルをコンピュータ上で動かすデモも行われ、注目を集めました。
実際に人間は言語という記号で世界を認識し、思索し、他者と対話しています。しかし人間が使用する自然言語は曖昧で、誤解を生む恐れが多く、機械との対話には適していません。そこで世界を何らかの形で(機械がわかるように)記号化できれば、機械と人間が対話でき、機械もまた記号を糧に思索できるはずだ……。こうした記号化的アプローチによって、「賢い」人工知能を研究する試みは今も王道であり続けています。
新しい人工知能の流れ、そして統合に向けて
その一方で近年注目を集めているのが、ディープラーニングを筆頭とする、記号化以外のアプローチです。「ポン」や「ブロック崩し」といったクラシックゲームの攻略法を自動的に学んでいくことで話題を集めた「Deep Q-Learning」もその一つ。ただし、これらは強化学習の成果であって、人間のように思索しているわけではありません。より生態学的なAIであり、従来のアプローチのカウンターパートだといえます。
もっとも、人間の精神活動も高度な論理思考と本能的欲求が融合しています。特に20世紀以降、心理学の発達にともない、人間の高度な知的活動と外界を結ぶ「無意識」の存在が注目されていきました。哲学でも従来の機械論が行き詰まりをみせる中、第弐夜でとりあげられた現象学のように、まったく新しい考え方が花開いていきます。すでに過去回で取り上げられたように、これらはゲームAIにも影響を与えています。
その上で三宅氏は未来のゲームAIを考える補助線として、この論理的思考レイヤーと生態的反射レイヤーの融合が鍵になると解説しました。ポイントは思索に強い記号系的AIと、動作や反射的な動きに強いニューラルネットの接続です。「ディープラーニングに対する注目が一段落すると、次はこのAI研究における二大潮流をいかに融合させるかが、大きな問題になるのではないでしょうか」(三宅氏)
人工知能のための哲学塾 第四夜「デリダ・差延・感覚」は3月7日に開催予定です。(小野憲史)