2015年7月29日からPSMで配信が始まったピンボールRPG「ローラーズ オブ ザ レルム~呪われし三戦士と戦乱の王国~」(PS4・PS Vita、国内版配信:アークシステムワークス)で、ガーマスートラにオリジナル版開発のポストモータムが掲載されています。良かった点・悪かった点が包み隠さず解説された非常に興味深い記事でしたので、編集部経由で許諾を取り、日本語参考訳を作成しました。カナダのインディゲーム開発事情についても理解が深まる内容ではないかと思います。
◆はじめに
ファントムコンパスは2008年に子ども向けのテレビ番組を題材としたゲーム開発&運営会社として設立された。最初の4年間は大量のゲームを制作したが、低予算のFlashゲームではなかなか会社を大きく成長させられなかった。
2011年の後半に地元のAAAスタジオ(訳注:シリコンナイツ)が何十人ものリストラを行った。リストラされたのは経験豊富だが、ほとんどゲームをリリースした経験がなく、職探しに備えてポートフォリオになる作品を求めていた。ファントムコンパス創始者のTony WalshとプロダクションヘッドのEricka Evansはこれを好機とみて、同社の小さなインディ開発チームとのミーティングに彼らの数名を迎え入れた。
AAA開発者たちは高い技術と大規模ゲームの発売経験をもたらした。インディチームはラピッド開発のノウハウや機敏さ、そして分散開発のノウハウがあった(ファントムコンパスはトロント市郊外のセントキャサリンズ近くで運営を行っていた)。我々のミッションは両者を組み合わせてXbox Liveインディーズゲーム向けの小さなゲームを作り出すことだった。開発期間は6ヶ月間で、これによって互いに深く知り合えるし、AAA開発者たちはポートフォリオに掲載できるちょっとした作品ができ、ファントムコンパスを一段上に引き上げられると考えた。
我々は2つの異なるチームをなじませることに加えて、ピンボールとRPGのマッシュアップという大きなリスクをとった。開発には3年間もかかり、2度にわたる開発資金の調達があり、開発メンバーは最大で約50人にふくらんだ。ピンボールのレーンをボールが猛スピードで転がっていくような、かつてない冒険だった。
うまくいったこと
1. 2Dゲームから3Dゲームへ
「ローラーズオブザレルム」の土台となるアイディアはファントムコンパスとリストラされたAAAチームの間で行われたブレインストーミングで生まれた。求められていたのは3-6ヶ月程度で開発できるちょっとしたアイディアだった。友人のTom BeirnesがNESで90年代初頭に発売された「ピンボールクエスト」のようなゲームを思いついた。RPGとピンボールの組み合わせに私たちは興奮した。
一風変わったハイコンセプトからは、さまざまなアイディアが飛び出してくる。私たちはこれらのアイディアをこねくりまわし、GDC2012に間に合うように、XNAで2Dゲームのバーティカルスライスを作って、この小さなゲームを世に送り出した。私たちはパブリッシャー候補とミーティングを重ね、プレスに「RPGピンボール」をアピールした。彼らの興味をそそることには成功したが、実際にそれがどのようにゲームとして遊べるのか、今ひとつ理解させられなかった。これらは序章のためのすばらしい材料にすぎず、我々はパブリッシャー、プレス、他の同じようなインディ開発者たちと親交を深めた(だけだった)。
GDCへの出展で自信を深めた私たちは、カナダの二大主要ファンドを活用することに決定した。CMF Experimental program と OMDC Interactive Digital Media Fundだ。両ファンドの出資者はプロジェクトで「革新性」を重視していた。そこで私たちはペイオフされた開発者をつなぎとめ、ファンドを得て、ポートフォリオを飾るような小規模の2Dゲームではなく、我々にとって初めての挑戦となる3Dゲーム開発に方針を変更した。
2. 魅力的なキャラを短期間で作成
「RPGピンボール」というコンセプトで注意を惹いたら、次は魅力的なキャラクターで人々を惹きつけ続けなければならない。ゲームのナラティブ要素はシンプルに保ち、風変わりな衣装を着たプレイアブルキャラクターの一団をならべて、親しみやすさを演出したかった。そこでヒーローたちをアイディア箱から引っ張り出した。若い少女、酔っ払いの老人、年老いた女性、母親、アラブ人の戦士、アフリカ系の呪術師だ。
プレイアブルキャラクターのデザインにはかなり注意を払い、どのステージでも違和感なく感じられるようにした。デモで一番多かったコメントが「キャラクターデザインが好き」というものだった。2Dアートは若くて才能のあるアートチームが担当し、ゲームの世界観にぴったりくるキャラクターを短時間で作り出してくれた。
声優の選択でも幸運なことがあった。ゲームのいろんな場面で声を当ててもらうため、経験豊かな数名の声優が使えたし、東洋風のシーンで群衆の声に使用するため(プロの声優ではないが才能のある)人材も集まった。キャスティングと録音に時間をかける必要があったが、それだけの価値はあった。Maya Wolosynに巡りあえたのは、200人以上のサンプルボイスを聞いた後で、彼女にはタフで愛すべきならず者を演じてもらった。実はゲームディレクターは映画監督出身で、多大な才能を発揮した・・・自分自身は。彼は自分のボイスはボツにした。
3. ユーザーテストの活用
このゲームはおもしろい? 当然だ。なぜわかる? テストしたからだ。ゲームのコアメカニクス(私たちはピンボールコンバットと呼んでいた)はゲームのあらゆる場面でおもしろさを提供した。これはプロトタイプから最終版にいたるまで一貫していた。業界内でも辛口で知られる評論家たちでさえ、このことを否定してはいない。
異なるジャンルのゲームをマージさせるため、私たちは早い段階から一般ユーザーを巻き込んだプレイテストを、これまでのプロダクト以上に行った。私たちは自分たちのスタジオだけでなく、フェスティバル、カンファレンス、デモナイト、見本市そしてコンペティションと、いたるところでブースを出してユーザーテストを行った。テスターの数は何百人にものぼり、年齢層も3歳から83歳まで多岐にわたった。
私たちは人々が実にさまざまな理由でゲームに惹かれるのがわかった。これによって、このゲームにとって誰がメインの顧客で、誰がそうでないかを見極める手がかりとなった。アートスタイルやハイコンセプトが好きだという人もいたし、ピンボールのファンという人も、RPGのファンだという人もいた。そしてもちろん両方のファンという人もいた。
一度このゲームに惹きつけられると、彼らはたいてい20-30分もゲームに費やしてくれて、ゲーム開発を続けるモチベーションを与えてくれた。見ず知らずの人が開発中のゲームを遊んでいる風景をみると、ゲームデザイン上の間違いがすぐにわかる。私たちは「ピンボール盤のデザインが優れていると、遊び方がわかりやすい」と何度も感じた。そこで私たちはどんどんデモをするようにしたし、ある時は20人の見ず知らずの人々の一団が、同じところで悪戦苦闘している姿も見ることができた。この「開発しながらプレイテストを行う」プロセスは非常に有益で、今後のプロジェクトでも実施したいと思っている。
もっとも後からわかったことだが、私たちはパブリックユーザーテストならではの問題にもぶつかっていた。「ローラーズオブザレルム」は第一章の四分の三をチュートリアルについやしており、途中でユーザーを脱落させたくなかったので、ストーリーも一本道で進む。そこで私たちは通常ゲームの第一章と第二章をデモしていた。
ゲーム全体のプレイステストは小人数のクロースドβテスターや、開発チーム自身、そして社内で開催した「Test Fest」イベントで行った。βテスターには自宅でプレイしてもらい、フィードバックをテキストで送ってもらった。しかし、これでは実際に遊んでいるところを後ろから見れなかった。実際のところ後半部分は最初の二章分ほどプレイテストの恩恵が受けられていないと思う。近い将来、クロースドβをストリーミングプレイで実施して、プレイ風景をテスターと開発チームと共有するなどの工夫が考慮されるべきだろう。
4. Unity 3Dの活用
2011年秋に最初の「ポートフォリオ向けプロトタイプ」を開発し始めた時、我々はこれまでのFlashからUnityでの開発に主力ラインを移行させることを検討していた。もっとも、私たちはC#での開発に慣れていて、Unityでの研究開発も行っていたが、AAAタイトルの開発者たちはまったく知見がなかった。
その当時のプラットフォームはXbox Liveのコミュニティゲームで、余力があればXbox Liveアーケードだった。開発期間は3-6ヶ月だった。チームはみなXNAに熟知していたので、サクッと作るためにもXNAベースの2Dゲームを作ることにした。チームは3Dアーティストばかりだったので、はじめにバックとキャラクターのモデルを3Dで作って、そこからテクスチャーをはって2Dの素材を作り、スプライトで動くようにした。
2012年の秋、カナダのCMFとOMDCという二つのファンドに向けて、より強靱なゲームを作るためにギアチェンジした。私たちはXNAで作っていた2Dゲームを廃棄して、Unityで作るためにC#でコードを書き始めた。これによって私たちはプロジェクトのゴールをPC向けに作ってSteamで配信することに設定した。その上でもし時が来れば、Unityのマルチプラットフォーム対応の利点を活かして、より多くの機種に対応させたいと考えた。
Unityは非常に使いやすく、ゲームデザイナーやアーティストであっても簡単に使いこなすことができた。そしてプロトタイプを改めて作り直し、本制作に突入するまでを素早く進められた。これまでに作った3Dの背景モデルやキャラクターモデルなどの一部を再利用することもできた。ゲームデザイナーが2D向けに作られたピンボールのステージを3Dにリマップし、Unityの物理エンジン下で動くようにすることもできた。
Unityの大きく協力的で活動的なゲーム開発者のコミュニティによって、ゲーム開発は非常に楽になった。どんな質問に対しても、それに近い答えをフォーラムで見つけられた。アセットストアによって時間やお金を一度ならず短縮することもでき、数日から数週間を稼ぐことができた。たとえばアセットストアで販売されている岩のモデルは実に見栄えが良く、自分たちで作ったように見えた。もっとも、せっかく買ったのにうまくいかず、自分たちで作り直したものもあった。たとえば iTween(注:position、scale、rotationなどのプロパティを自由にアニメーションさせるアセット)はPS Vitaではうまく動かなかった。
アトラスUSAからPS4とPS Vitaでゲームをリリースしないかと申し出があった時、Unityのマルチプラットフォーム機能は強力なセールスポイントになった。しかし、この点については「うまくいかなかったこと」で説明する方が良いかもしれない。Unityで高度なことをしようとすると、次第に必要なサポートが得られなくなっていった。PS Vitaのフォーラムには膨大なドキュメントがあったが、当時はPS4向けにゲームを作っていたUnityの開発者は少なかったので、コミュニティの規模もぐっと小さくなった。たぶんPS4とPS Vitaのクロスセーブ機能に対応したUnityのゲームは、「ローラーズオブザレルム」が初めてだったのではないだろうか。
5.大きな前進のために大きなリスクをとる
たった4人しかいない小さな社内のインディチームと、レイオフされたり、求職中の20人以上にわたるゲーム開発者との間でチームを組もうと思いついたときから、いろいろなレベルで結構大変なことになることはわかっていた。プロトタイプを完成させるために、私たちは会社の規模が4倍近くになったが、そのためには伝統的な開発のやり方からリモート環境を駆使したものに変えていく必要があった。Skype, Gmail, Google Docs, Dropbox, SVN そしてAssembla(クラウドベースのコード&タスクトラッキングシステム)を用いたコミュニケーションなどだ。
私たちはいろいろな変化にあわせていく必要があった。長時間の仕事、仕事へのコミットメント、すべての変化などだ。フルタイムの仕事が見つかったので、メンバーがプロジェクトから離れることもあったが、それも受け入れる必要があった。アジャイルで動く必要があり、どんな変化があってもプロジェクトを前進させられるように、十分なリソースを確保する必要もあった。
「ローラーズオブザレルム」はゲームデザインの点でもリスクに突撃した。RPGとピンボールという、これまでにないジャンルを融合させることは大きなリスクだったが、我々はこのアイディアを非常に気に入っていた。非常に幸運なことに、クリエイティブディレクターのDave Ebansは最初から完成形が見えていた。いろいろと手痛い経験もあったが、初日から完璧にプロジェクトを引っ張っていた。
それでリスクをとってどうなったか? たくさんの素晴らしいことがおきた。我々は経験豊かで才能豊富なゲーム開発者たちと連携をとりながら偉大な仕事をやりとげることができた。私たちは会社を小さいけれど骨太の10人の社員からなる組織に成長できた。いろんな賞にノミネートされたり、受賞したりして、Steamのグリーンライトも通過した。そして自分たちにとって初めてとなる海外展開に関するパブリッシング契約もとれた。私たちは最初の家庭用ゲームのタイトルを出荷できた。我々のゲームを愛してくれるたくさんのユーザーを獲得できた(私たちもみんなを愛している!)。無名のインディにとってすべてが大きすぎる飛躍で、「ローラーズオブザレルム」は想像以上の場所に私たちを連れて行ってくれた。
(後編に続く)
原文:Sean Thompson, Tony Walsh, Ericka Evans, David Evans
日本語参考訳:小野憲史